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『輝かしい青春』なんて失かった人の雑記

児童ポルノ法で漫画やらを規制すべきでない四つの理由

奥村弁護士の

という記事を読んで、なぜ児童ポルノ法で漫画やらアニメやらゲームを規制するべきではないか、 という自分なりの理由をまとめたくなったので、とりあえず書いてみる。

(以下漫画やらアニメやらゲームやらのことを創作物と表記する)

一つ、創作物と被害者児童には直接的な因果関係がない

まず一つ目、これはどういうことかというと、これは読んで字のごとくで、 虐待や搾取の被害にあった児童と創作物そのものは直接的な因果関係がほとんどないということです。

まあ中には例外として、創作物が作成される過程で、搾取や虐待が行われる、という可能性は無くは無いですが、 児童ポルノ違反として検挙されるケースの内、ほとんどが児童買春であるということを考えると、 直接的な因果関係はないと断言しても問題ないと思います。

考えてみれば分かることですが、創作の過程で被害者児童が発生することがなければ、 創作過程において創作物は児童になんら影響を与えていない、ということは自明の理だと思われます。

一つ、創作物の取り締まりにリソースが割かれることは、被害者児童の不利益である

次に二点目、これはどういう事かというと、児童保護に割かれるはずのリソースが、 他の事に割かれてしまう(この場合は創作物の取り締まり)と、本来児童保護に必要なリソースが目減りすることになって、 児童保護がないがしろにされ、虐待や搾取された被害者児童達にとって、 大きな不利益になる、ということです。

大体ただでさえいい加減にしか行われていない被害者児童のケアが、 創作物の取り締まりによって忙しくなった場合に十分に行われることが期待できるか? と問われた場合、期待できるとは到底いえないと思われます。

一つ、創作物を児童ポルノとして扱うことは、実在の児童と創作物に描かれている架空の児童を同等に扱う事である。

三つ目、これはどういうことかというと、まず、児童ポルノが厳しく規制されている理由には、 児童ポルノというものが、被害者なくして存在し得ない、という点があります。 ゆえに児童の保護という観点から、児童を被害者としなければ存在できない児童ポルノは規制されているわけです。

要するに保護すべき対象がいるから、児童ポルノは規制されているわけです。 そこで命題にかかわってくることなのですが、創作物を児童ポルノとして扱うということは、 創作物に描かれた架空の児童を、保護すべき対象として認めることであり、 架空の児童を保護すべき対象とするのは、存在するものと存在しないものを、 同等に扱う、つまり、架空の児童と実在の児童を同等に扱うことである といえます。

はっきりいって、これは許されないことだと僕は思います。

なぜなら、どう抗っても人格や意思を持ち得ない存在と、人格を持ち、確固たる意思を持つ存在が、 同等に扱われる、ということは、実在する人物に対して、お前は架空の存在と等価な存在だよ、 と言ってるに等しいからです。

作者の意思によってどうとでもなる存在と同等に扱われるというのは、 実在の児童に人権を認めていないようなものです。

一つ、保護法益の混乱により、実務が混乱し、被害者児童の不利益になり、加害者の利益になる

最後に、これは最初に提示した奥村弁護士のBlogで言われていることですが、 個人を保護するための法律で、創作物の取り締まりという社会風紀を取り締まるという側面持ってしまうと、 児童ポルノ法の保護法益が、個人法益なのか社会法益なのか、という混乱が生じます。

で、児童ポルノ法違反の罪がそれなりに重いことが許されるのは、 児童を保護するという個人法益法だからなのであって、 これが社会法益法となったとすると、加害者の刑量が、加害者にとって有利となる、 という事態へとつながってしまうわけです。

また保護法益が個人法益から社会法益に転向するということは、 個人を守る法律から、社会を守る法律に変わる、ということであり、 個人保護がないがしろにされる恐れも出てくるわけです。

よって、被害者の不利益になり、加害者の利益になりかねない、保護法的の社会法益化は、 行われるべきではない、といえます

以上終了。まとめ

上記が僕の考えている児童ポルノ法で創作物を規制すべきでないという理由です。

まあいわゆる表現規制反対派の方は表現の自由がフンダララと言うんでしょうが、 上記の理由は表現の自由以前の問題です

まあ僕は個人的にですが、児童ポルノ法での創作物の取り締まり云々に、 表現の自由が云々というのは持ち出すべきではないと思います。

なぜなら表現の自由を持ち出せば、表現の自由のために子供を犠牲にしてもいいのかと確実に言って来るでしょうし、 もしそういった反論があって尚、表現の自由を主張すれば、子供に犠牲を強いる表現の自由は認めるべきではない という話になりかねないからです。

それこそ表現の自由を認めるべきではないという話になれば、 日本の民主主義の危機になってしまいますし、表現の自由が崩されれば、 日本は中国みたいな言論もへったくれもない国になってしまうばかりか、 国際的にほ評価の高い創作文化がダメになってしまう恐れもあるわけです。

あとそれといわゆる児童ポルノ法で創作物を規制せよ、と言ってる方に対しては、 本当に子供を救おうとする気はあるのか?創作物規制をして子供を救った気になりたいだけじゃないのか? と思ってます。まあ何でかって言えば上記の四つの理由からです。

まあとりあえず書くこと書いてすっきりしたので、今日はここで筆を置きたいと思います。