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カラクリサイクル

『輝かしい青春』なんて無かった人の雑記

.@harukazechan の危うさについて真面目に考えてみた。

今日、久しぶりに note.mu のdashbaordを見ていて、 @harukazechan が目に入ったのですが、 どうにも彼女にある種の危うさを感じているので、その辺りを真面目に書いてみます。

※ あ、別にこれは はるかぜちゃんDisとかそういう訳ではないです。

1. どうして僕は、はるかぜちゃんのTweetやNoteに危うさを感じるのか

なんだろうねぇ、自分でもイマイチ、こう、納得のいく回答が出てないんだけど、 僕は、どうにも彼女のTweetなりNoteなりに危うさを感じる。

というのも、多分だけど、僕は彼女が、

  • 世の中の不合理に向き合い過ぎている

というコトを感じるのが一つと、もう一つが、

  • はるかぜちゃんがある種の独善に陥りはしないか

という心配を感じているのが、なんとなく彼女のTweetなり、 あるいはNoteなりを見ていてもにょる原因になっているんじゃないかな、と思う。

まあ世の中の不合理に向き合う、というのは、未成年の頃に一度は経験する通過儀礼みたいな所はあるけれども、 彼女の場合、それがちょっと行き過ぎているというか、否、 行き過ぎている 、ではなくて、 やっぱり

向き合いすぎている

ように感じるんだよね。

まあ、多分、はるかぜちゃんの場合、正義感が強いというか、多分その辺りについて非常に真面目で、 それが彼女の良さではあるんだろうと思うけれども、そういう不合理について考えすぎても、 あまりよろしくない、というか、そういう事柄が、何かしらの歪みやら歪さにつながりかねない、 という点で、僕は彼女に危うさを感じているのではないか、と思う。

2. 善悪相殺 - この世に悪は無い。有るのはヒトの善と、その対極に位置する別の善である

で、次の心配、というかさっき触れなかった項目に、

  • はるかぜちゃんがある種の独善に陥りはしないか

というのがあるのだけれども、これはまあ、バランスの取り方の問題で、 彼女もこれから身につけて行く類いのモノだろうけれども、それでも尚、 彼女のあり方、というのは、一歩間違えば独善の類いになりかねない、 と僕は感じているので、その辺りが結構心配かなぁ、という感じではある。

っていうか、まあこれは僕の哲学ではあるけれど、基本的に、 この世には、

  • 絶対悪

なんてモノは無くて、この世で と呼ばれているモノすべては、

  • ある正義から見た別の正義 でしかなない

と思っているので、その点から言えば、彼女が、

○○についてはおかしい! 間違ってる!

と感じ取っていたとしても、それは はるかぜちゃんの正義 であって、 他のヒトの正義ではない 、という点を意識した方が良いのではないかな、 と僕は感じている。

まあ僕もこの手のバランス感覚が身に付いているかどうか怪しい部分もあるので、 あんまりヒトのコトは言えないけれどもね。

ただ、やっぱりそれでも、僕は

絶対悪 など 存在しない

というのと同時に、

絶対的な善存在し得ない

という、理(ことわり)がある、と感じているので、 やっぱり彼女が独りよがりな独善にならないためにも、 そういったバランス感覚を身につける事が必要なのではないかな、と思います。

3. まとめ

いやまあまとめるほどでもないけど、僕が彼女——はるかぜちゃんに感じている、

  • 一種の危うさ

というのは、こういうコトなのかな? というコトを書き連ねてみました。 そしてこの記事は 源状理論 の久しぶりの記事だという。

まあ今日の記事を一言で言うのならば、

何事ほどほど にね

というコトにつきるかなぁ、という感じですね。


ま、というコトで本日の記事は以上です。

まあ僕としては、彼女——はるかぜちゃんに対し、

  1. 芸能人だとか
  2. 中学生だとか
  3. まだ子供だとか

そういう文脈でどうこう言うつもりは毛頭なく、僕個人が、 彼女の在り方を見て、

一人の人間 として、 その在り方は危うい のではないか

と感じただけにすぎないので、その辺りは各位勘違いしないでください。

あと、彼女に限らず、有名人に対して誹謗中傷や暴言吐いてる方々は、 それで鬱憤が晴れるのかも知れませんが、その行為は、

  1. 自身への悪評や、
  2. あるは自身の罪業を積み重ねているだけ、というコトに
  3. とっと気づきやがれこのクソ野郎!

とだけは言っておきます。

というコトで、今回の記事は以上です。終わります。