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カラクリサイクル

『輝かしい青春』なんて無かった人の雑記

『すべき事だけをする事が出来る』というデザイン

Thinking Design

が究極のデザインなのではないか、と思う話。


昨日、色々と、

これ、自分でプログラミングしたりするしかないかなぁ

とボーっと考えていた時に、

あー、これとか作るのは、本来は自分のすべき事ではないよなー

とか思ったりして、なんかめんどうだなーとか色々と悶々としてたんですが、その時、ふと、

『自分がすべき事だけを行える環境』を作る というのが 究極のデザイン なのではないか?

と言う考えが浮かんで、今日、その辺りにいて、忘れない内にブログなりに書いておこう、 と思ったので、今、こうやってブログを書いています。


それで、

『自分がすべき事だけを行える環境』を作る

と言うコトは、何かのデザイン、例えば Web サービスなり社会的な制度設計なり、 あるいは、仕事なり物理的なツールであったりと、ありとあらゆるデザイン=設計において、

『自分がすべき事だけを行える環境』が作れない

と言うのは、まあ、その 自分がすべき事を行せない 、というのを 意図したデザイン であれば 成功 だけれども、 本来、 便利な制度設計 とか、あるいは Web サービスで利便性の向上とかを狙っている ものの、 そういう余計な事をさせるデザインになっている、なってしまっている、という事案では、

これはもう デザインの失敗である

と個人的には思う。

それで、僕は以前から、

読者側モバイル最適化されてしまう読み物系コンテンツのデザインデザイナの敗北である

と、勝手に思ってたんだけども、これはつまるところ、

読者側でモバイル最適化する必要が有る という コンテンツのデザイン

と言うのは、 読者がその読み物に集中出来ない 、という意味で、

『自分がすべき事だけを行える環境』が作れてないデザインデザインが失敗している

という認識だったんだなー、と個人的には腑に落ちました。


ま、話としてはそれだけなんだけれども、僕が思うに、

文章を読ませるコンテンツ

において、色々とゴテゴテと本筋とは関係ない事柄なり要素なりに気が散るデザイン 、 というのは、まあ コンテンツを読ませるという意味合い では 失敗作 だろうし、また、

それ、本当にコンテンツ読ませる気あるの? 広告踏ませたいだけなんじゃないの?

と、辛辣に思ってしまいますね。

ま、 広告を掲載してそれをバンバン踏ませて利益を上げる 、と言うのが主目的なら、 そういう 気が散りまくるデザインはアリ だとは思うけれども、それが目的ではなく、 かつ、 文章などのコンテンツを集中して読ませたい 、と言うのが本来の目的であれば、 広告掲載とかしない方が良いし、また、コンテンツの収益化の為にある程度止むを得ずに広告を掲載するのであれば、 それは、本来読まれたいコンテンツを邪魔しない よう、 その広告を配置する必要がある 、と僕としては思います。

ただ、そうは言っても広告の云々は、そのコンテンツを掲載している媒体の方針にも依るし、 また、個人のブログでそれが生活の糧になっている、とかだと、そうも言ってられない、 というのも分からんでもないので、その辺り、バランスを取る必要があるかな、とは理解できますけどね。

まあ、僕個人の趣味としては、あまりにも広告がゴテゴテとか、 あるいは、取って付けた様に広告が掲載されててコンテンツを邪魔している、 みたいなのは、少なくとも自分のブログ等では、それは行いたくはないです。はい。